OrCamと出会ったゾーイが、どうやって復職に成功したのか

2018-07-30 | 作成者 Orcam Staff

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OrCam MyEyeは、どのようにして視力を失ったZoeが仕事に戻るのを助けたか

私の名前はゾーイ・ハートマン。ニューヨークのブルックリンに住む25歳です。22歳の時、私は視力を失ってしまいました。しかし、OrCamに出会ってからは視力を失って出来なくなった事がまた出来るようになり、自分の力で色々な事に挑戦でき、視力を失った生活が豊かなものになりました。

視力を失う前、私は映画産業でプロダクションアシスタントをしていました。アシスタントディレクターになるために日々努力していました。
ある日突然私の視力が落ち、そこから数か月日に日に目が悪くなっていきました。診断と誤診を1年繰り返し、生体検査の結果、原因不明の脳の炎症が私の視神経に損傷を起こした事が判明したのです。

その後、私は移動出来るように杖の使い方を覚え、字を少しでも読めるように拡大鏡の使い方を身に着けました。しかし、それでも私は他人に頼らないと日常生活のほとんどを送れない状態でした。ちょっとした事でも私1人では出来ず、誰かに小さい文字を読んでくれとお願いをしないと出来ない事がたくさんありました。復職をするのも難しく、趣味に打ち込むのも苦労しました。

そんな中、ニュース特集で初めてOrCamの事を知りました。その数か月後、母の元同僚がOrCamで働き始めたという知らせを受け、私はデモに出向いて実際にOrCamを試してみることにしました。そこで私は何年かぶりに自分
1人では読めなかった文章をまた読むことができ、その時の感動は只々圧倒的なものでした。

私は他人に頼る生活とは決別し、今では自分の力で様々な事を行う生活を
送っています。OrCamは買い物やメールのチェック等の、基本的な事に使ってます。OrCamを使えば誰かに私のお金を数えてもらう必要もなく、標識の認識も出来るようになったので、今では1人で出歩いています。OrCamと出会ってからは、買い物も地下鉄での移動も自分の力で出来る日が戻ってきました。

それだけでなく、復職も叶いました。OrCam MyEyeを使うことで書類を読んで事務作業をこなせるようになり、いくつかのテレビ番組の制作にも関われました。仕事のペースが早い映画産業で働く中では、これらの作業をより早くより効果的にこなせることは私にとって大きなアドバンテージとなりました。それだけでなく、近所のレストランの受付スタッフのバイトを新しく始めました。どれもこれも、OrCam MyEyeがなければ実現出来ませんでした。

OrCamのおかげで好きな事にもまた打ち込めるようになりました。友達とご飯を食べに行く時もOrCamのおかげでメニューが読めるようになり、お店や博物館などで字の小さいラベルや標識も読めるようになりました。今では特に好きな演劇に時間を使っていこうと考えています。台本が読めるようになってからこそ、そう考えられるようになりました。

OrCamのおかげで人生が文字通り変わりました。視覚障がいのある生活は苦労の絶えないものですが、OrCamのおかげで生活が楽になった上、自分の力で過ごせるものになりました。